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「小樽問答」から55周年 破邪顕正の信念の声を



 正邪を明らかにする言論は、宗教の生命である。正と邪を峻別せずして、また、信念の言論なくして、古今東西、発展した宗教はない。「小樽問答」の歴史も、そのことを雄弁に物語っている。
 55年前のきょう、1955年(昭和30年)3月11日、北海道の小樽で、学会と日蓮宗身延派との法論「小樽問答」が行われた。
 結果は、学会側の大勝利。それは、当時の仏教界を震撼させる歴史的な出来事であった。
 相手の身延派は、日蓮系仏教のなかでも、江戸時代以降、最大の勢力を誇っていた。法論を行う話が浮上した際、臆病な宗門は矢面に立つことを恐れ、学会にすべてを押しつけた。
 戸田第2代会長は、事態を把握するや、即座に決断した。
 「この法論は、戸田が引き受けた!」
 敵は巨大である。法論までの時間もわずか1週間しかない。「不可能」と思われる戦いであった。
 そうした状況下での戸田会長の決断は、「学会こそ広宣流布の全責任を担う」との、広布推進に対する一貫して変わらぬ誠実な姿勢であったといえよう。
 法論の実質的な責任者は、青年部の池田室長であった。室長を中心に、法論の順番、時間、破折の角度などが詳細に詰められ、各地への派遣隊も編成されるなど、短時間でありながら万全の準備が整えられた。当日の司会は、室長自らが行った。
 「広き北海の天地に、雪と戦い、風と戦いつつ、破邪顕正の一念に燃えて、不眠不休の陰の闘争をした」――3年後、池田室長が小樽問答で奮闘した青年部の戦いを綴った一文である。
 大勝利の法論後、北海道の学会勢力は、当時の約2700世帯から、2年後には2万世帯を超えるまでに。学会全体としても、20万世帯に満たなかった当時から、わずか2年半余りで75万世帯を達成した。まさに、破邪顕正の言論が、学会発展の原動力となったのである。
 池田名誉会長は後年、小樽問答の歴史を振り返り、こう述べている。
 「広宣流布とは、いかなる戦いであれ、自分が勝利の全責任を担うのだと、決然と一人立つことから始まるのだ」
 広宣流布の永遠の方程式を、小樽問答の歴史は示している。創価の正義を語り抜く新時代の言論戦を、粘り強く展開していきたい。


社説 2010年3月11日 聖教新聞ご案内 SEIKYO online
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